今より二千有余年前の太古、崇神天皇の御代に素盞鳴尊(スサノヲノミコト)とその御子神で植樹の神様である五十猛尊(イソタケルノミコト)が白幣山に御鎮座しました。
聖武天皇の御代、奈良時代(733年)にこの地を訪れた吉備真備公が神託を受け、現在の奥の院に社殿を建立しました。学問の神として祀られる真備公は、日本ではじめて学者から右大臣まで出世した努力家で、唐国へも二度留学し、修め極めた陰陽暦学を世に広めたいと考え、当社の御祭神である素盞鳴尊を牛頭天王・天道神とし、その御后神である奇稲田媛命(クシイナダヒメノミコト)を歳徳神、八王子を八将神に配して日本暦の「こよみ」を司る暦神としました。
平安時代(972年)になって現在地へ社殿が大造営され、奥の院には吉備真備公を祀る社殿が建てられました。現在の本殿は約600年前の室町中期の建物、拝殿は江戸時代に修理された建物であり、その規模は国内でも最大級といわれ国指定重要文化財になっています。 |