榊原家は譜代大名のなかの名門で、俗に徳川四天王の一つに数えられた。なかでも忠次公(1605〜1665)は、文武両道にすぐれた人格者で、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君と称された。
この墓所は、1665年に長子の政房によって立てられたもので、忠次公の生前の功にふさわしい風格を備えている。面積は約1100平方メートル。
碑文は朱子学者の林恕(鷲峰)の撰によるもので、長文で名高い。榊原家の系譜をたどり忠次公の生い立ちから館林,白河(福島県)の藩主を経て1649年、姫路の城主(28代)となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の文字に刻まれている。この文を一字の誤りもなく読むと、碑石の「カメ」が動くという伝説がある。 |